本市の教育改革の理念と方向性について

 平成17年3月定例会
 

 昨今、新聞紙上をにぎわしております日本の子どもたちの学力低下、そのことによって、ゆとり教育の見直しの世論が高まり、共同通信社が実施した全国電話世論調査で、現行の学習指導要領が掲げるゆとり教育について、75.1パーセントが「見直すべき」だとし、一方で、「見直すべきでない」は10.3パーセントにとどまっており、「どちらとも言えない」は13.8パーセントという結果でありました。

 また、不登校の問題も、文部科学省の調査によりますと、国公私立の小・中学校で平成13年度に不登校を理由として30日以上欠席した児童・生徒数は、小学生2万6,511人、中学生112,211人の合計138,722人であり、これを全体の児童・生徒数の割合で見ますと、小学校では275人に1人、0.36パーセント、中学校では36人に1人、2.81パーセントで、小・中学校の合計では、全児童・生徒数の約1.2パーセントを占めております。

 また、全国公立小・中学校中、不登校児童・生徒が在籍する学校の割合は、平成3年度は約39.3パーセントであったのが、平成13年度は57.6パーセントとなっており、半数以上の学校に不登校児童・生徒が在籍しているという状況になっております。同時に、1校当たりの平均不登校児童・生徒数も、平成3年度には約4.8人であったのが、平成13年度には約7.0人に増加しており、また学年別に見ますと、学年が上がるにつれて不登校児童・生徒数は増加し、特に小学校6年生から中学校1年生、中学校1年生から2年生の間で大きく増加したとのことであります。

 また、少年犯罪も、17歳の少年による、あの寝屋川市立中央小学校で教職員3人が殺傷された事件などに衝撃を受けられた方も多かったと思いますが、14歳未満の少年による事件についても凶悪化の一途をたどっており、昨年1年間に殺人や強盗など凶悪犯罪で補導された少年は前年比3.3パーセント増の219人で、16年ぶりに200人を超えた2003年をさらに上回っております。そのような状況の中で、14歳未満の少年でも少年院送致を可能にする少年法、少年院法の改正案が閣議決定され、今国会に提出されております。

 このままで日本の教育は本当に大丈夫なのでしょうか。こういった心配は、少人数学級やホームスタディ制度を設け、全国から注目され、さまざまな改革を行っている我が志木市の住民においても同じなのではないかと思うのであります。

 OECD(経済協力開発機構)の第2回国際学習到達度調査で、日本の高校1年生が文章を読み、論理的に考え、内容を理解し、社会生活に生かす応用力が急低下している実態が浮かび上がりました。OECDの調査は、世界41か国・地域の15歳の生徒を対象に、知識や技能をどれだけ実生活に生かせるか実践能力を調べるのが目的であり、初回2000年の調査で8位の読解力が14位に急落したのが最大の特徴で、数学的応用力は1位から6位に後退、科学的応用力は2回とも2位であったとのことであります。数学、科学、問題解決能力は、韓国、フィンランドなど上位国と優位差はなかったのですが、読解力の低下は、低得点層の大幅増が主因とのことであります。日本の下げ幅は参加国中最大で、「趣味としての読書をしない」と答えた生徒の比率も参加国中トップだったとのことで、中山文部科学大臣は、「日本の学力が低下傾向にある事実をはっきりと認識すべきだ。危機感、切実感を持つべきだ」と厳しい現状認識を示しております。

 実際、文章の正しい理解力なくして、数学や科学の設問に対応できず、本や新聞を読むのも大儀になり、社会や世界への興味、理解が限定されていて、結果として日本の大学生の43.5パーセント、高校生の45.9パーセントは、イラクの位置がわからない。また、それぞれ1割が近隣の北朝鮮の位置すらわからないことが、日本地理学会地理教育専門委員会の調査で判明したのであります。

 文部科学省は、読解力低下の原因は、テレビ視聴時間増、読書減、コンピュータの浸透など、言語環境変化の影響ではと指摘したそうでありますが、「うざい」「きもい」「キレる」「チョー」何々等、地理学会の調査結果の報道を知った若者たちは、インターネットのブログという日記帳の意見を述べる場で、「イラクの位置なんか知らなくても、生きていく上で何も問題ない」と開き直る始末でありまして、イラク戦争や北朝鮮の拉致問題などこれだけ報道されているにもかかわらず、自分の生活に関係なければ、イラクがどうなろうが、北朝鮮がどういう国だろうが、全く興味がないということなのでありましょう。

 少ない読書量ではボキャブラリーが貧弱化し、読解力が下がるのは当然というぼやきが、教育の現場から漏れているとも伺っておりますが、急速な活字離れは、もはや見過ごせない段階に達しているのだと思います。文部科学省は、落ち込みの目立つ読解力に照準を絞り、授業改善の指導資料と読解力向上プログラムを来年の夏までに策定するとのことであります。

 このように全国的な調査を見ますと、資源の乏しい我が国の唯一の資源である人材の育成について、大変深刻な事態が進行しているのであります。人間の活動の源であり、健康の維持のほか、意欲や気力といった精神面の充実に大きくかかわっており、豊かな人間性や、みずから学び、みずから考える力といった「生きる力」の重要な要素となるものでもあります子どもの体力についても、文部科学省が昭和39年から行っております全国の調査では、昭和60年以降体力低下が続いているとのことで、体格が昔に比べてよくなったにもかかわらず、平成12年の結果を、親の世代である30年前の昭和45年調査と比較しますと、長距離走をはじめとするほとんどのテスト項目について、子どもの世代が親の世代を下回っているということで、こちらも厳しい結果が出ております。

 このような流れの中で、多くの子どもが自信を失っており、日本の子どもの70パーセント以上が自信を失っているとのことであります。ちなみに、米国では約40パーセント、韓国で30パーセント、中国で15パーセントという結果の中で、我が国の多くの子どもたちが著しく高い割合で自信を失っており、やはり自信を回復させる意味でも、大人たちがしっかりと学力や体力、そして知識をつけさせてやることが急務であると考えるのであります。

 現在国会では、自民、民主の与野党の壁を超えた議員の方々が、このような現状に危機感を感じ、昨年の12月定例会でも紹介したように、今こそ1988年から始まった英国のサッチャー改革に学べと、現状のゆとり教育による学力低下や学校の教室に規律がないこと、自分の国に誇りの持てない歴史教育の見直しなどの議論が活発になっております。誤った児童中心主義は、結果として児童自身に責任を押しつけてしまい、その児童本人が大人になってから、自信も気力もなく社会に対応できずに苦悩するわけでありまして、このような大人たちの無責任な姿勢で本当によいのか、改めて問いただされなければならない時期が来ているのではないかと思うのであります。

 英国でも、サッチャー政権以前の政権までの間に、栄光ある没落を許容してしまっていた英国病と言われた時代には、自由活動などを取り入れ、子ども中心主義教育を推し進め、その結果、学力の低下、授業中の立ち歩き、校内暴力などが問題になっておりました。しかしながら、これを危機と感じたサッチャー政権は、英国民としての誇りの回復、道徳の重要性を訴え、さらに学力を向上させるために、1988年教育改革法を制定し、大きく教育制度を改革しました。国定カリキュラムを導入し、教育内容を国が責任を持つようにして、全国共通テストを導入、そしてその結果を公表することで、学力向上に向けた学校間競争が起こったのであります。

 その結果、7歳から11歳の全国共通テストで、標準レベル以上の成績を取得した生徒の割合が、1996年には英語57パーセント、数学54パーセント、理科が62パーセントだったものが、2004年には英語77パーセント、数学74パーセント、理科87パーセントと飛躍的に向上したことが明らかになりました。

 さらに、学校監査の徹底化が1992年教育法により図られ、教育省から独立した学校監査の専門機関としての教育水準局が設置され、監査人が各学校を約1週間にわたり監査を実施して、教育内容や退学者数などを監査し、監査最終日に、問題のある学校は教育困難校として認定され、校長が辞任するケースもあるとのことであります。教育困難校については、各科目における教師の考え方の質が目標に達していない場合に認定され、認定された学校には、教育水準局と地方教育当局が一緒になって改善計画を義務づけ、それでも改善されない教育困難校は一たん廃校にした後、教師、校長、経営者すべてを一新し、フレッシュスタートスクールとして再出発するとのことでありました。

 つまり教育水準局による学校監査のねらいは、問題校を排除するのではなく、問題を教師や学校だけで抱え込ませない、国が一緒になって問題を解決していこうとする学校再建システムを構築することにあるとのことであります。それでもなお改善されずに、全国で190校が廃校され、大学も例外ではなく、6校が廃校になったとのことであります。

 さらに、学校の校長がリーダーシップを発揮できるように、学校の予算の運用権と教員の任免権を校長と学校理事会に付与し、新たに設けられた学校理事会は、学校の予算をどのように使うかについて校長と協議して決定し、各学校が新聞等に教員募集の広告を出して、応募してきた人を両者が面接して採用することになっており、つまり大枠は国が決定するが、学校運営等の詳細部分については、各学校がその自主権を最大限に行使するシステムとしたのであります。

  こういった改革は、もちろん簡単なものではありませんでした。改革を実行したときには、当然教職員組合からの猛反発を食らい、半年間のストライキもあったようであります。しかしながら、この厳しい改革は国民から多くの支持を得てサッチャーの教育改革は実行され、その制度は、その後政権交代があり、今やブレアによる労働党政権になった今日も続いております。それは、まさにこの教育改革が現在も国民の間で支持され続け、結果として栄光ある英国が復活し、英国病から脱却している以上、いかに労働党政権といえども、サッチャー教育改革をもとに戻すことはできないのであります。

 このような深刻な我が国の状況を克服するためには、もはや今までのような、言葉は優しく美しいが、中身があいまいで甘いものでは、状況は克服できるとは思えず、厳しい教育改革が実行された英国の事例は大変参考になると思うのであります。また、下村博文文部科学大臣政務官も、積極的にこのサッチャー改革を見習って日本流に取り入れていこうと考えております。

 本市では、今定例会で議論されているように、学力や体力低下について、各学校ではそれなりに調べているそうでありますが、昔と比べて今の子どもたちは一体どうなっているのかということを、しっかりとした本市の統一テストなりなどで学力調査に関しては行っていないとのことでありましたが、このままでよいとは思えないのであります。

 細田教育長も、平成12年に教育長に就任されてから5年の月日がたち、さまざまな改革を推し進めてまいりましたが、社会情勢は刻一刻と変化し、教育をめぐる状況はますます深刻化しております。

 細田教育長は、就任直後の、私の今後の教育方針についてどのように考えているのかという一般質問の中の答弁で、心の教育を強力に推進すべきものと考え、その心とは、麗しい心、美しい心、宇宙を目指す心、この3つの心であると確信しているとおっしゃっておりました。麗しい心とは、一人ひとりが人格を尊重し、互いに相手を思いやる心、感謝と喜びを持って社会に貢献しようとする心で、美しい心とは、健康な体と精神を鍛えることに努力する心であって、21世紀を生きる上で最も大切なことは、強靭な肉体であり、あらゆる困難に対し勇猛果敢に挑戦する心、不撓不屈の心、堅忍不抜の精神である考え、宇宙を目指す心とは、宇宙への夢を大きく描き、その夢を実現させるために、学問、研究することに喜びを見出す心であるとの答弁をされておりました。

  この掲げた理念は、当時も賛同いたしましたし、今思い返してもすばらしい理念だとは思いますが、気になる点といたしましては、その後の答弁で、非行や青少年の犯罪、不登校の問題について、その原因の一つとしては、詰め込み教育を挙げております。私も、当時は詰め込み教育について問題があったと考えておりましたが、いわゆるゆとり教育ということで、小学校6年間で昭和46年から平成14年にかけて、その30年間で1,000時間も授業時間数を減らすことへの影響がこれほどまでひどいとは思っておりませんでしたし、その後、大学の受験状況を高校に行って調べたところ、今や大学に進学希望で大学のブランドなどを選ばなければ、ほぼだれでも入学することができ、大学の一般受験でさえ競争率が2倍程度しかないということを知り、とっくに詰め込み教育など終わっていることを実感いたしました。

 そしてその結果が、先ほど述べたイラクの位置さえ知らない大学生が43.5パーセントもいるというとんでもない事態となってあらわれ、教育長が当時から目指しております強靭な体力や不撓不屈の心、堅忍不抜の精神も、残念ながら余り昨今の子どもたちや若者から感じられない状況があり、社会対応能力が育たず、ニートやフリーターが増える世の中になってしまっているのであります。

 志木市の教育改革を昨今の状況の中で改めて見直したとき、「競争原理でなく協力原理を目指す」などという言葉が象徴的ですが、大変ほほ笑ましく、優しい言葉のもとで改革が積極的にやられ、少人数学級をはじめとする不登校の子を面倒見るホームスタディ制度や、みんなが25メートルを小学校を卒業するまでに泳げるようにするいろはカッパ制度などを実施しており、それはそれで大変すばらしいことであるとは思いますが、何か結果の平等主義的な面が前面に強く出ているとも受け取られる気もいたしますし、学力にしても体力にしても、厳しく鍛えて、社会に出ても自信を持って通用するような子どもたちを育てるというような言葉や改革の方向性は、余り見かけないように感じるのであります。

 また、今定例会でも議論されているように、たとえ少人数学級制度にしても、教えている教師の資質の向上やその施策の骨格である明確なビジョンや目標があって、その進行状況のチェックができなければ、市民から厳しい目で見られることがあっても、それは仕方がないことなのだろうと思うのであります。

 そこで、細田教育長が就任から5年の月日がたとうとしておりますが、改めて昨今の社会情勢の変化なども踏まえて、どのような理念を持ち、何をどう改革しなければならないと考え、どのような方向性で改革を進めようとしているのか、教育長のご所見をお伺いしたいと思います。


▼教育長 答弁
 

 本市の教育改革の理念と方向性についてでありますが、議員のお話にございましたように学力や体力の低下、不登校や少年犯罪の増加など、今さまざまな問題が山積しておりまして、大変危機的な状況であるというふうな認識を私も持っております。

 また、昨年12月には、OECDによりまして国際学力到達度調査の結果が報道されまして、文部科学省からも日本の学力は世界の最上位とは言えないという見解が示されました。これらにつきましては、結果をさらに慎重に精査し、原因を究明するとともに適切な対応を図る必要があると考えております。また、文部科学省が国家的な見地から今後の教育のあり方に今取り組もうとしていることでございますが、それももちろん当然のことというふうに思います。

 しかしながら、今私どもの住んでおります志木市というこの基礎自治体の教育委員会といたしましては、市内12校の目の前にいる児童・生徒を対象といたしまして、地域の中で一人ひとりを大切にしながら、個々の能力を伸ばすことに全力を注ぐということが、その使命であるというふうに考えております。

 幸い、関係各位のご理解とご支援をいただき、小学校低学年においての少人数編制を導入することができました。おかげさまで、70パーセントを超える教員は「集団適応が早い」「学習規律が早く身についた」というような評価をしておりますし、また、ほぼ80パーセントの保護者の皆様も「落ちついた生活ができるようになった」「担任の先生の子どもの理解が深まった」というふうにとらえております。これらの結果から、多くの方々が、それぞれ学級担任が個々の児童理解を深め、かつ一人ひとりに対してきめ細かな指導が行われていると受けとめていただいているものと評価しているところであります。

 これらのさまざまな効果を踏まえながら、今後さらに発達段階に応じた学級編制を進めることができれば、それを実施いたしまして、さらに一人ひとりの能力を伸ばしていきたいというふうに考えております。

 今、議員のお話にもございましたが、教育に厳しさがないというようなこと、あるいは学力が低下する原因があったのではないかということでありますけれども、私も、ある意味ではそのような感じを持っているところであります。

 戦後のことになりますけれども、戦後は、ほぼ生活中心の学習でありました。それが昭和30年代に、当時のソ連でありますが、ロケットを上げまして、そのころからいわゆる学習指導要領が国家基準になりました。そして、昭和40年代までは授業時数の増加、指導内容の高度化が進められてまいりました。しかしながら、なかなか理屈どおりにはまいりませんで、落ちこぼれとか受験戦争、あるいは非行とか不登校とかというような問題が出てまいりまして、そして昭和52年から授業時間の削減やら指導内容の精選が行われて、平成14年に週5日制が導入されたという長い経緯を持っていると思います。

 そういう中で、私は、義務教育というのは一つの国家基準というんでしょうか、ナショナルスタンダードというんでしょうか、そういったものを反映いたしまして、各市町村の学校が行っているわけでありまして、これはそれぞれの時代や社会状況が反映されているわけでありまして、何としてもそういったものを超えるだけのノウハウもなかったと思いますし、それを忠実に実施すると、そういう今までの教育のあり方の中でこのような結果といいましょうか、状況が生じてきているのではないかというふうに考えております。

 そういうわけで、私どもが行っている教育は、いわば国家基準、国の基準に従った義務教育でありまして、その枠内でやっているわけであります。しかしながら、定められた指導内容を定められた時間で、それをしっかりと学習させるということは極めて当然であります。その点、私は本当にしっかりと勉強させてきたのかという点については、もっと努力してもよかったのではないかという感じを持っているものであります。

 しかしながら、私どももそのような中で学力の定着を目指しながら、日々努力を重ねているところでございます。

 教育は、国家百年の計と言われておりますとおり、長期的な視野を持つべきだというふうに思いますが、やはり一日一日、あるいは1年1年の実践の完結というようなものをきちっとなすべきであろうというふうに思います。ご案内のとおり、50年後には人口減少国家の中で、65歳以上が3人に1人と言われている中で、現在私たちが育てている小・中学生は、その3人に1人の高齢者になるはずであります。そういうことを基本に据えまして、教育をこれから進めていく必要があるというふうに考えます。

 このようなところで、私は、教育というのは、やはり知育、徳育、体育をいわゆる公教育の基本といたしまして、あるいは原点といたしまして、さらに将来を考えたときに、自立心であるとか責任感とか、あるいは連帯性というものを確立するということを求めて、保護者や地域が求める子ども像を一つの目標といたしまして、一人ひとりの能力を伸ばしていくということが、これからの教育改革の方向性であるというふうに考えております。

 そのようなことを考えましたときに、教育のまさに第一線、フロントは学校であります。児童・生徒の知・徳・体をバランスよく着実に向上させるというのが学校であり、日々の授業をはじめ、さまざまな教育活動を進める教師であろうかというふうに思います。今後、教育委員会といたしまして、各学校が保護者、市民の方々の願いや期待にこたえられるよう、教育委員会として、家庭、地域のご協力をいただきながら、学校のさまざまな条件整備、あるいは教育の授業改善、指導内容、指導方法に対して指導助言をしてまいりたいというふうに考えております。

 私は、これからの改革は、まさに児童・生徒と先生との、その接点のところだというふうに考えております。また、それは学校だけで完結するのではなくて、やはり家庭、地域のさまざまな方々の協力と支援、そして理解がなければ、これはできないというふうに考えております。そういう意味で、一人ひとりを大切に、一人ひとりの能力を高め、そして地域の描く子ども像、それを尊重しながら教育改革を進めていく必要があるというふうに考えております。


●再質問

 本市の教育改革の理念についてなんでありますが、いろいろご答弁されたんですけれども、いま一つ芯の部分がよく見えなかったんです。

 先ほど触れましたけれども、本市の施策を見渡したときに、非常に結果の平等主義的イメージを持たれてしまうのではないかという部分がありますが、そういった中で、教育長は一人ひとりの子どもを大切にするということ、そして一人ひとりの子どもたちの能力を伸ばしていこうということを一生懸命やっていくというのが盛んに出ておりましたけれども、そういたしますと、例えば落ちこぼれを出さないような施策をやっている場合に、その間に、普通の子たちはどのような状況になっているのか。優秀な成績をおさめている子どもたちは、そこで立ちどまって待っていなければならないのか。もっと学びたい、今のはやりで言えば、例えばMBAの資格を取って立派な経営者になりたいでありますとか、もっと頑張ってプロ野球選手になりたい、サッカー選手になりたい、オリンピックで金メダルをとりたいというアスリートを目指した子どもたちは、志木市の教育の中ではどのような扱いになっているのでしょうか。

 先ほども触れましたが、教育長は就任直後に大変立派なことをおっしゃられておって、健康な体と精神を鍛えることを努力する心が必要であると。最も大切なのは、強靭な肉体であり、あらゆる困難に勇猛果敢に挑戦する心、不撓不屈の心、堅忍不抜の精神であると考えているという意気込みを述べられております。

 さまざまな分野に成功している方々は、やはりいろいろな話を聞いてみますと、ふだんは人並み以上の努力を惜しまずやっておりますし、普通に自立して社会生活を生きていくためにも、社会の厳しさに耐える忍耐力と努力が、やはり必要不可欠であります。子どもたちの将来のためにも、そのときは厳しくても、そのことに耐え抜く力を身につけさせることによって、生きる自信を持つ子どもが育っていくんだと考えますが、今まで志木市はどのような教育施策の中でそれが生かされているのか、お尋ねをいたします。

 それから、生きる自信を持つには、私は、やはり郷土に誇りを持って、地域を愛する心の教育が、先ほど述べられた英国の例からでも明らかであると思いますけれども、そういう心が必要だと思いますが、そのことについてもどの教育施策から生かされ、今後どう改革していくのか、お尋ねいたします。

 また、何よりも改革を進めるに当たっては、先ほど申し上げましたが、避けて通れないのが教師の資質の向上であろうと考えます。前任者の秋山教育長も、最後のご答弁を山崎議員にされたときも、残念ながら、まだ一番最初に教師の資質の向上ということを今後の課題として掲げなければならないということでありました。

 私も、ある情報でありますけれども、残念なことに、現在でも市内のある中学校では、先生から見て問題だと思うやんちゃな生徒に対して、校長先生が「学校へは来るな」ということで、体当たりで子どもにぶつかっていくというよりも、すぐに見放すような発言をしていて、また、そのことを教育委員会に親が相談しても、学校のことは学校でということで、真剣に取り合ってくれないというお話も伺っております。このことはどうなんでしょうか。

 先日、NHKの「プロジェクト]」でも、「スクールウォーズ」というドラマで有名になった京都の伏見工業高校の特集をやっておりました。先生が本気になって愛情を持って体当たりで生徒にぶつかっていけば、わずか1年間で、突っ張り生徒たちがラグビーで県大会優勝、花園に行けるまで導けたわけであります。当時の生徒は、ラグビー部の顧問の先生に今でも大変感謝しておりました。しかし、志木市は、ただの切り捨てと思われても仕方ないような行為をいまだに行っているのではないかというご意見をいただいております。

 それから、教師の資質の問題でさらに言いますと、いまだに、ある学校のバレー部の顧問の先生が女子生徒にセクハラまがいなことをやったにもかかわらず、何の処分もされていないのではおかしいではないかというご意見もいただいております。このことが事実であれば、全くもって情けないことでありますが、こういった現状への対応も踏まえて、教師の資質の向上に対する改革への強化についてはどのように考えているか。

 以上3点、再質問いたします。


▼教育長再答弁

 私は、義務教育という一つの大きな枠の中で教育は行われているものだというふうな理解であります。したがいまして、単なる恣意的な、あるいは私独自の特別な教育観を持って教育をするということはなかなか難しい。そういうことがありまして、私は先ほど来、あるいは前回も申し上げましたけれども、知育、徳育、そして体育ということが基本であり、それを強力に推し進めていくことだと、そういう理解のもとにおるわけであります。

 そういう中で、一人ひとりの子どもたちをということでありますが、これは、私は少なくとも、少人数学級編制から始まったところでございますが、一人ひとりにきめ細かな指導ができる。そして、その指導の結果が授業改善に当然なるわけでありますが、授業改善が図られて、そして子どもの力が、高い者も、また低い者も、それぞれ高まっていくというふうに私は期待をし、またそう信じております。それぞれの能力というものは、必ずしもその段階で花開くというわけではありませんし、それがきっかけになって将来花開くということもございますので、そういう点からすれば、一つ一つの小さな積み重ねが、実は将来の大きな花になるというふうに思っているところであります。

 忍耐心というお話もございましたけれども、私は、この忍耐心というのは本当に難しい話だというふうに思います。大人ですら、手に入るものは何でも手に入ってしまう、そういう時代であります。便利なもの、すべて便利です。そういう中で、どうして子どもたちが忍耐心を養うことができるのだろうか。

 そういうことを考えますと、私は、今国がさまざまな状況の中で変わろうとしている、あるいは非常にこれから困難な時代を迎えようとしている。こういうときこそ、まさに忍耐心、あるいは我慢する気持ち、そういったものをいろいろな意味で養っていくようにしていかなきゃいけないのではないか。子どもたちに押しつけるのではなくて、大人がまず実践、大人が垂範をすべきだというふうに思うのであります。みずから進んで行っていくべきだというふうに思います。大人が我慢する、そのことを子どもはやっぱり学んでいくべきだと、それを子どもは学ぶんだろうと思います。

 それから、郷土に誇りをということでございますが、これは人間生まれた者として、当然郷土に誇りを持つべきだというふうに思います。それには、やはりまず身近な地域からきちっと勉強していく、学んでいく。それをきちっと身につけていく、理解をしていく、そのことだと思います。幸い志木市では、多くの地域の方々がそれぞれの専門的な分野でもって指導していただいておりますので、そういう意味で児童・生徒は郷土を知り、郷土を理解し、郷土に誇りを持つものというふうに思っております。

 第3番目の教師の資質向上でありますが、私は、文字どおり永遠の課題だというふうに思っております。これは、私が教員になりました三十数年前から教員の資質向上ということは言われております。いまだ言われております。

 先日、OECDの調査がございました。フィンランドというのを私は調べてみたんですけれども、フィンランドは1番だ、1番だと言いますけれども、フィンランドの人口は517万人であります。埼玉県より少ない人口であります。学級は35人学級だそうです。それから教師ですけれども、教師は非常に人気のある職業だというふうに言われております。なぜでしょうか。私は、教師が教師として尊敬される、そういう風土があるからだろうというふうに思います。

 我が国の実態を見まして、本当に教師を教師として尊重していた、あるいは尊敬していたという時代はあったと思います。それは学校が、いわば社会の文化の発信源として存在していた時代であります。今は、さまざまな教育情報がさまざまなメディアを通してそれぞれ流れているわけです。そういう意味で、非常に教師というものに対する尊敬の念といいましょうか、あるいはその役割というものが非常に低くなってきているのではないか、弱くなってきているのではないか、そういうふうに私は思います。

  私は今こそ、本当に教育を考えるならば、みずからが教師になって取り組もうという気持ちを持った人が出ていただきたいというふうに思います。私のこの30年間の実感であります。教育が悪い、教師が悪いと言いながら、ただ言っているだけで、それに対する対策を何ら立ててこなかったというのが現実だろうと思います。そういう意味で、教師の資質の向上というのは、私は、まさに戦後の永遠の課題だろうというふうに思います。

 しかしながら、そうは言っておられませんので、これからは文字どおり学校の教師そのものに対する、教育委員会としては指導助言、それから各学校では本当に真剣に授業改善、指導力向上あるいは人間性向上のために私は努力をしていくべきだろうというふうに思います。そのためにいろいろな条件を整えていく必要があろうかと思います。

 最後になりますが、教師の資質の問題でお話が何点かございました。私は、それは必ずしも事実ではなくて、その背後に、例えば「学校に来るな」と言った教師がいると言いましたけれども、それは医師の診断であるとか、あるいは相談所の関係とか、そういうことを踏まえた上で、例えば保護者が一緒に来るなら来てほしいと、そういう言い方で私は聞いております。その辺は、今後事実を詳細に調べてみたいというふうに思います。


●再々質問

 答弁いただいたんですけれども、何か脱力感といいますか、何とも言えない気持ちになるんですけれども、最初の忍耐力の件につきましても、私は、今の物が豊富な中でも我慢する心というのは、もちろん大人が模範というか、そういうのを見せるのは当然のこととして、教育の現場でも教えていくことは可能なのではないかなという点で、具体的にどういうふうにやっていくんですかと。まして、最初の就任直後には、教育長はそのことを改革の方向性としておっしゃられたので、そういうのはどういうことですかと、どういったことに今生かされていますかということをお聞きしたかったので、再度確認したいと思います。

 郷土に対する誇り云々に関しては、理解しました。

 それから、教師の資質向上なんですけれども、昔から確かに言われていると思うんですが、最近は─私は、今ちょっとデータを持っていないんですが、その件数が多くなってきたりであるとか、それから先ほど話もしましたけれども、新たにセクハラの問題等、非常に教師として情けないような事件の件数が全国的に増えてきていると。そしてまた、私もこれはまだ伝聞の段階ですから何ともわかりませんが、ご意見として伺ったこととしては、ある中学校でセクハラの教師がバレー部にいたけれども、何も処分されていないというお話を聞いております。

 こういったことがありますと、私は、最終的にはきちっと、やっぱり教師に対する尊敬の念を持って、尊敬されるような学校づくりをしていかなければならないというふうに考えておりますけれども、一方で、こういった報道をするなとはマスコミにも言えませんし、そういう情報を統制するわけにはまいりませんので、地域で起きれば地域でその話は何らか伝わっていくと思うのであります。

 それでは、尊敬される教師になっていくための努力といいますか、そういった施策は、今の志木市はどういうことをやられて、今後どういうことを強化していこうと考えているのか、お尋ねいたします。

▼教育長再々答弁

 最初に、忍耐心ということでございますが、忍耐心というのは、本当にそれぞれの個々の状況に応じての指導になろうかと思います。そういう意味で、例えば運動を通してとか、あるいはマラソンを通してとか、それぞれ児童・生徒にある意味での負荷を加えながら養っていくものだというふうに考えます。

 それから、教員の資質向上についてでございますが、これにつきましては、教員の研修というのは、任命権者である県教育委員会が実施するというところがございますが、そういう意味では初任者の研修、5年の研修、あるいは10年の研修ということがございます。さらに、それぞれの教科の専門の研修も実施しているところでありますが、志木市におきましては、昨年7月に志木市独自の研修ということで教員の研修会を実施しております。また、各学校に対しまして私どもも指導主事を派遣し、その中の研修を、授業改善を含め、生徒指導あるいは進路指導、教育相談等の研修も実施しているところであります。そういう意味で、教員の資質向上につきましては、継続的にそういった研修を実施していくものというふうに考えております。


●鈴木正人・要望

 いずれにしましてもこの教育の問題は、永遠の課題と言われる教師の資質であるとかそういったものもありますけれども、しっかりとした教育理念を持って事に取り組んでいただけたらなと思います。

 もちろん地域の人たちの声を聞きながら、住民の声も聞きながらということで、先ほどのイギリスのサッチャー改革の話でも、まさに経営委員会が校長先生と一緒になって、地域で子どもを育てていこうというシステムを導入しておりますので、志木市はそれを先駆けてやっていくんだというふうに思いますけれども、やっぱり志木市の方針として、こういう核を持っているんだという部分を住民にご理解いただくという努力も私は必要ではないかなと思っておりますので、今後改革する上でその辺を明確にしていただきたいなと思っております。